法華宗もまた大きな財力を持っていた教団である。
町人を中心に支持を集めていた法華経は、戦国時代の一時期、京都に強い勢力を持っていた。
法華宗は京都の上京、下京に各10人の惣代を置き、自治組織をつくって町の運営を行っていた。法華宗は、「皆法華圏」(かいほっけけん)と呼ばれる自分たちの理想の国家をつくろうとしていた。地子銭の支払いも拒み、朝廷や幕府、公家や武家などから独立した地域をつくろうとしていたのだ。
京都の富商たちの多くが法華経を信仰しており、彼らは自治組織の中でも世話人として名を連ねていた。
京都で「旦那衆」というと商家の主人のことを意味するが、旦那というのはもともとは檀家のことを指す仏教用語なのである。つまり、法華宗の支配の時代の京都で使われていた旦那という言葉が今にも伝わっているのだ。
また絵師として高名な狩野家も熱烈な法華宗信徒であり、狩野永徳(1543~1590)と並び称された長谷川等伯(1539~1610)も法華宗信徒だった。
【『宗教とお金の世界史』大村大次郎〈おおむら・おおじろう〉(ビジネス社、2023年)】
「濁悪の此の世行く」の濁悪とは法華宗のことだったのだろうか? 『威風堂々の歌』は京都で生まれた。法華経信仰が広まっていたのであれば、創価学会の布教方法にも工夫があって然るべきだった。
意外だったのだが戦国時代は寺社の経済力が強大で織田信長が比叡山を焼き討ちしたのは当然の流れだったと記されている。仏教寺院は高利貸しを行い、更には軍事力をも擁(よう)するまでになっていた。大名よりも力の強かった寺も多かったという。大村大次郎は日本人に宗教心が薄くなったのはこの時代の影響が大きいとしている。
「皆法華圏」が創価王国を思わせる。布教を優先する宗教はおしなべて国家を目指すのかもしれない。
実利的な法華宗を好んだ町人の感覚が現在にまで伝わり、少し変化して日本共産党を支えているのだろう。
共産党が強い背景について前原氏は4つのポイントに言及。1つは共産党の支援組織である民主商工会(民商)の存在です。京都は中小零細企業が多く、融資や納税相談などでそれらを支援してきた民商が強い力を持つようになりました。
2つ目は共産党が伝統的に強い、京都大学や立命館大学を擁する大学の街であること。
3つ目は高所得者層からも強い支持を得ていること。共産党は労働者を支援する政党のイメージがありますが、前原氏によると京都では高級住宅街に共産党のポスターが貼られている光景が当たり前にあるそうです。
最後に、1950年から28年間京都府知事を務めた蜷川虎三氏の影響を挙げました。
「根っからの京都の人というのは三代百年住んでいないとなかなか認めてくれないんです。…昔の人から言うと、まだ『入り人(いりびと)』という範疇(はんちゅう)に入ります」と前原は語る(Wikipedia)。それだけに客観的な見方ができるのだろう。分析が正確だ。
もっと鋭い分析を見つけた(笑)。
⑦公明党や創価学会を嫌う神社仏閣、お坊さんが多く、反創価と正面から対立している共産党を支持している。
ネット情報は侮れない。