斧節

混ぜるな危険

「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」

【青山しげはる】ぼくらの国会【百田尚樹】
【青山しげはる】AAA 青にゃんの総て【ぼくらの国会】

 ・「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」
 ・謙虚と傲慢

日蓮の再誕

「私のコトバは憲法となる」
 池田会長は明言する。このひと言ですべてが明らかであろう。


【『人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方』高瀬広居〈たかせ・ひろい〉(有紀書房、1965年)以下同】

 いや、何ひとつ明らかではないが。

 高瀬広居は浄土宗の寺に生まれた宗教家で、長らくテレビマンをしていた。創価学会の支持者として知られる人物でもある。

 たぶん池田に随行して書いた著作と思われる。創価学会は当時540万世帯で日の出の勢いだった。

 池田会長は、モダンな本部応接室のアームチェアーにアグラをかき直すと、煙草を一服し、静かに、そして激しい語気でいった。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」
 同席の大幹部数人は深く肯(うなず)き、息をのんだ。ごく平和な空気が漂っている……。きびしい秋の陽をさえぎる茜(あかね)色のカーテンが静かにゆれていた。彫りの深い池田大作の眉宇には、想像しえない決意の意志が刻みこまれていた。
 37歳の創価学会会長は、自らを全世界の指導者、日本の国主たる気概と現実的意志のもとに、数百万世帯の人々を背景に、舎衛(しゃえ)三億の目標に向かっているのである。

 初めはこの部分を確認する目的で読んだ。で、活動をやめてから再度読んだ。活動している時は「30代の先生の偉大なる確信」と感じたが、二度目は「思い上がりも甚だしいな」という印象であった。

 まあ、会員激増を踏まえると、1000万世帯はおろか2000~3000万世帯くらいまで見据えていたのだろう。結果的には750万世帯-言論出版妨害事件で頓挫するわけだが。自分たちが起こした事件を、「言論問題=法難」と捉えるところに創価学会の病根がある。一冊の書籍の出版を政治的な圧力で中止させようと試み、それが難しいとなると今度は「買い上げ」を提示し、出版されたら会員を使ってリンチに等しい嫌がらせを行う。手口が左翼とそっくりだ。

 学会を批判する人物がやたらと引用する箇所ではあるが、著者が「よかれ」と思って書いている点に留意する必要がある。

 尚、古書があまり出回っていないようだが、この程度の書籍は図書館から借りればよい。

インドの宗教史

『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集
・『ウパニシャッド』辻直四郎
『はじめてのインド哲学』立川武蔵
『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳
・『バガヴァッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済』上村勝彦
・『神の詩 バガヴァッド・ギーター』田中嫺玉訳

 ・インドの宗教史

『空の思想 仏教における言葉と沈黙』梶山雄一

 インドの宗教史は、おおよそ以下の6期に分けることができる。


 第1期 紀元前2500年頃~前1500年頃 インダス文明の時代
 第2期 紀元前1500年頃~前500年頃 ヴェーダの宗教の時代(バラモン教の時代)
 第3期 紀元前500年~紀元600年頃 仏教などの非正統派の時代
 第4期 紀元600年頃~紀元1200年頃 ヒンドゥー教の時代
 第5期 紀元1200年頃~紀元1850年頃 イスラム支配下ヒンドゥー教の時代
 第6期 紀元1850年頃~現在 ヒンドゥー教復興の時代


【『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社学術文庫、2003年)以下同】

 フーム、教法流布の先後が崩れている。宗教の五綱(五義)は一種のマーケティング概念だと私は認識している。教相判釈という観点では五重の相対ほどの破壊力はない。

 富士門流の教学に染まっているせいか立川武蔵の著作を理解するのが難しい。宮崎哲弥が立川を推しているところを見ると、むしろ立川の方がメインストリームなのだろう。仏教書を読む際には起点を知っておくことが大切で、ブッダ最澄空海-鎌倉仏教と大きく三つに分かれる。

 インド仏教は紀元前5世紀あるいは紀元前4世紀に生まれて、13世紀頃にはインド亜大陸から消滅したのであるが、この千数百年の歴史は初期、中期、後期の3期に分けることができよう。
 まず、初期とは仏教誕生から紀元1世紀頃まで、中期は紀元1世紀頃から600年頃までの時期を指す。後期とは紀元600年頃以降、インド大乗仏教滅亡までである。

 つまりインドで仏教が滅んだ時に鎌倉仏教が興(おこ)ったわけだ。西洋では教皇権が隆盛を極め、イタリアからはトマス・アクィナス(1225頃-1274年)が登場する。

師弟相対はバラモン教への回帰

 ・師弟相対はバラモン教への回帰

・『ウパニシャッド』辻直四郎
『はじめてのインド哲学』立川武蔵
『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳
・『バガヴァッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済』上村勝彦
・『神の詩 バガヴァッド・ギーター』田中嫺玉訳
『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵
『空の思想 仏教における言葉と沈黙』梶山雄一

 ウパニシャッドは「奥義書」と訳されたり、「秘教」とよばれたりするが、その本来の意味は必ずしもはっきりしていない。語源的には「近く」(原語略)「坐る」(原語略)という意味があり、弟子が師匠に近座すること、こうして伝授される秘説、さらにその秘説を集録した文献を意味する、という解釈が一般に行なわれてきた。
 近来の学者は、それに対して次のような考え方を提示している。そのほうがより多くわれわれを納得せしめるようである。すなわちこの語は古くから「対照」「対応」の意味をもち、それはのちに述べる大宇宙と小宇宙との等質的対応の関係――究極的には宇宙の最高の原理であるブラフマンと、個体の本質としてのアートマンの神秘的同一化を説くウパニシャッドの内容に、よく符号調和するというのである。


【『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人〈ながお・がじん〉責任編集(中央公論社、1969年/中公バックス改訂版、1979年)】

 バラモン教民間信仰ヒンドゥー教と覚えておけばよい。アーリア人がインドを征服した後の宗教的伝統である。

 前にも書いたが鎌倉仏教の密教的色彩はバラモン教回帰を示す現象で、インド宗教史を再編した趣すらある。師弟相対はおろか、信への傾斜、化儀という儀式、はたまた血脈に至るまでが、いずれもバラモン教の教えである。

「血脈相承」が偽書のキーワードであるとの指摘は多い(#432 「生死一大事血脈抄」偽作の真実1)。正統性を創作する作文のわけだが、それにしてもセンスがいいと思う(笑)。こうなるとインド思想史というよりは、王政復古的な回帰志向が脳の癖なのかもしれない。歴史は繰り返す。頭の中で。

 尚、1980年代に展開した池田の「宇宙即我」論は完全なブラフマン信仰ともいうべき代物で、石田次男〈いしだ・つぎお〉が「内外一致の妙法」と糾弾したのも納得できる。