斧節

混ぜるな危険

謙虚と傲慢

 ・「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」
 ・謙虚と傲慢

日蓮の再誕

 会長を囲む質問回で、ある地区担当員の主婦が、真剣な眼差しで問いたずねる。この種の質問会に必ず出るといってよい質問だ。
「私についてくるなんていわれても困るね。長い長い行列ができてしまう」
 幹部たちはどっと笑う。しかし、その爆笑は、ついていってもよいのだという安堵(あんど)と喜びを正直に、率直にあらわしあっているのだ。もちろん、かれは、「会長絶対視」や「池田大作」への随順を批判する。
「“異体同心”が大聖人の指導です。異体とは、個人々々の主体性をいう。同心とは妙法を唱える心、王仏冥合(おうぶつみょうごう)達成の一念を指すのです。――生意気のようですが、私は、その目的達成の代表であります。そのために、あなたは、私についていくには云々(うんぬん)と申されていると思います。
 しかし、この姿は、私を中心として団結してゆく意味であって、私自身が立派な、力のある人物と思いこんでは決してならない、むしろ迷惑です。――“会長につく”とか“本部の本流につく”などといいうのは、まったくウソとなります。観念論です。信心の極理は、題目しかないのです」


【『人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方』高瀬広居〈たかせ・ひろい〉(有紀書房、1965年)】

 昔からそうなのだが、活字になっているスピーチは「一往」で、区幹部クラスに口伝で伝わってくる“折々の指導”が「再往」というような立て分け方がある。支部などの組織では常識を通し、人材グループなどでは常識外の内容を語るのも同じ原理だろう。

 組織には信心のレベルが様々な人がおり不信を起こさせるわけにはいかない。だが選ばれた人材の集まりでは思い切った内容の話ができる――という理窟だ。

 1965年は昭和40年である。『前進』は「研修シリーズ」の前身で幹部用テキストである。

「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない」(『前進』昭和40年6月号)

「私から幹部の任命を受けることは、記別を受けることです。会合もただ列座しているのと、記別を受けて出るのとでは違う。記別とは信心の血脈です。これなくしては『法華経を持つとも無益なり』である。私は現在の仏法の指導者です。私を中心にして御本尊を信ずることによってこそ、『霊山(りょうぜん)に近づく鳥は金色になる』との御金言のごとく、幸福境界を確立することができるのです」(『前進』昭和42年2月号)

「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない」(『前進』昭和45年5月号)

 私は昭和30年代後半から昭和40年代中頃までの『前進』は22歳の時に読破している。支部長をしていた父が誰かから譲り受けたものだった。更に創刊号から数年分の『大百蓮華』もあり、こちらも読んでいる。胸を高鳴らせながら読んだことをよく覚えている。

 こうした謙虚と傲慢の振れ幅の広さも池田の魅力といえよう。凡人は極端な人格や強い断言に弱い。しかも普段の池田は常識を重んじた振る舞いをしている。側近幹部の前ではやくざの親分顔負けの迫力である。37歳で「私と境智冥合していなければ」と言い切るのだから凄い。戸田ですらここまでは言ってない。

 昭和40年といえば前年に公明党が結党されている。目障りな主要幹部を公明党に追いやり、池田が完全な主導権を収めた時期だ。その勢いのままに10月9日から12日までの4日間にわたって正本堂供養が行われ、355億円もの浄財が寄せられた。消費者物価指数で現在の価値に換算すると約1500億円となる。