・小室直樹が指摘する創価学会の失敗 その一
・小室直樹が指摘する創価学会の失敗 その二
・小室直樹が指摘する創価学会の失敗 その三
小室●私の意見では、創価学会問題を要約しますと、創価学界(ママ)がいやしくも宗教団体なら、当然、(1)教義が憲法に違反してなぜ悪い、これは信仰の自由の問題ではないか、(2)公明党が宗教政党で悪い理由はない、これは結社の自由ではないか、(3)池田大作の教義に関する解釈が本山の解釈と矛盾してもいいではないか、これは解釈権の問題ではないか、と主張すべきなのに、それをしないのは不思議千万だ。
【『日本教の社会学 戦後日本は民主主義国家にあらず』小室直樹〈こむろ・なおき〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(講談社、1981年/ビジネス社、2016年/新装版、2022年)以下同】
小室直樹は多くの著作で創価学会に触れている。きっと碩学(せきがく)は怖いもの知らずなのだろう。初版が1981年(昭和56年)なので、言論出版妨害事件(1970年)と池田会長辞任(1979年)が一緒くたにされているような印象を受けた。小室は正統派の学者で、山本は在野の評論家である。山本を軽く見る向きもあるようだが、その独創性は凡庸な学者の比ではない。小室の語り口からも十分敬意が窺(うかが)える。小室は会津(あいづ)育ちの保守派だが、山本はクリスチャンで常にアウトサイダーの立場から日本を見つめてきた。
小室●でも問題は二段階ありまして、国立戒壇を建てるということが単に教義にとどまっている間は憲法との間に何の問題も起きない。教義があって、ある宗教団体がそれを主張することは憲法違反でも何でもありません。ただし公明党がそれを党の一つの綱領として取り上げたときに初めて問題になり得るので、それをジャーナリズムはまったく混同しているのだから、実に奇妙キテレツです。
小室の論は常に卓見というよりはオーソドックスやスタンダードを基準としている。独創性よりも学問の原則に忠実であろうとする。風体や奇矯な言動から変人と思われがちだが実は違う。何と言っても11年も先んじてソ連崩壊を予告した学者なのだ(『ソビエト帝国の崩壊 瀕死のクマが世界であがく』光文社、1980年)。
山本●スキャンダルはスキャンダルでいいけれど、そのこと自体は、教義が間違っているという理由にはなりません。
山本●ところが創価学会は現在の状況をもっぱら法難であるということで処理しようとしている。周囲の人間はあらゆるうそをいっている、だからこそわれわれはいま団結しなければならないんだ、と。日蓮と同じような迫害を今、受けいているというわけです。
最初の言論出版妨害事件が致命的な失敗だった。世間知らずの創価学会員は「法難」との言葉を鵜呑みにしてしまった。いまだにそれを信じている会員が殆どであるところを見ると、内部的な物語の書き換えには成功したといってよい。
小室●創価学会の論理からいったら、謗法(ほうぼう)すなわち法を誹謗することが最大の罪なんです。藤原弘達は謗法をやろうとした、だからわれわれは断固として彼をやっつけるんだ、となぜいわなかったのか。その点うやむやにして、「天下に謝す」だとかいって謝っちゃった。これこそ宗教者として失格ではないですか。
さしずめ、「仏法、世法に敗れたり」といったところ。後に「王仏冥合は失敗した」と池田は心情を吐露している(1988年)。
当時、「法を下げた」事実に気づく学会員はいなかった。私は上京してから、かなり多くの学会員に昭和45年当時の状況を尋ねたが、「よくわからなかった」という答えが大半だった。