・仏教伝播
・『ニューソート その系譜と現代的意義』マーチン・A・ラーソン
・『エスリンとアメリカの覚醒』ウォルター・トルーエット・アンダーソン
・『神秘学講義』高橋巖
・『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎訳
・『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
・『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ:今枝由郎訳
Wikipedia「仏教のシルクロード伝播」に以下の図があった。
私は「日本の仏教」のページでこの図を見つけたのだが、腑に落ちない部分がある。
台湾から九州に伝わったルートがあったのか? ちと、信じ難い。
「台湾への仏教の伝来は、鄭氏政権時代(17世紀)である」(台湾の仏教)。ほらね。その上、京都から日光というルートも解せない。輪王寺や中禅寺を指すのか? 和歌山(高野山)がないのもおかしいと思う。
別のを見つけた。
【仏教公伝】
こちらは大雑把すぎる。
ちょっと驚いたのは以下の部分だ。
「Early Buddhist schools」(黒い線/部派仏教)と「Theravada」(緑の線/上座部仏教)を色分けしている。「vajrayana tantric」は密教か? こちらも大乗と色分けしている。私は一緒くたにしていたよ(笑)。
まず最初に、ペルシャ帝国、ついでアレクサンドロス大王の帝国、そしてローマ帝国による政治的統一は、東洋と西洋、より厳密にはインドとギリシャのあいだの交流を数世紀にわたって促進した。紀元前546年、未来のブッダが10歳くらいの頃、ペルシャのキュロス大王は、小アジアのギリシャ都市と、インダス河のインド領域を征服し、エジプトからインドにまでまたがる大帝国を打ち立てた。ペルシア人が作った素晴らしい道路と中継地のおかげで、ブッダは3週間の騎馬の旅で、ギリシャの同時代人ピュタゴラスを訪ねていくことも可能であった(現在では、ギリシャとインドのあいだに位置する緩衝国の大半が、不安定で政治的に閉ざされているので、こんな旅行はほぼ不可能である!)。ヘーゲルは、いみじくも、この新しい政治的統一のおかげで、「ペルシャ人が、東洋と西洋とのつなぎ目となった」と述べている。
【『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール:今枝由郎〈いまえだ・よしろう〉、富樫櫻子〈とがし・ようこ〉訳(トランスビュー、2010年)】
思想はそれ自体がもつ力で広まるわけではない。政治・経済の恩恵に浴する形で伝わってゆくのだ。また、技術革新は戦争によって推進されてきたのが歴史の事実である。「道路と中継地」もテクノロジーと考えられる。そもそも枢軸時代に人類の精神が目覚めたのも、鉄器による作物増産~余暇の誕生という背景があったのだ(武田邦彦説)。
インターネットは新たな教祖を生むだろうか? その可能性はある。ただし個人的には新たな教祖はミュージシャンの姿で出てくると考えている。理や知に傾いた教義よりも、コンサート会場の陶酔の方が宗教的であると思う。