斧節

混ぜるな危険

歴史以前の民衆は「自然の一部」だった

『歴史の起源と目標』カール・ヤスパース
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・歴史以前の民衆は「自然の一部」だった

・『歴史とはなにか岡田英弘
・『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔
・『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統岡田英弘
・『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
・『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
・『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世
・『時計の社会史』角山榮

 現世的社会は教会によって形作られ、組織されていたもので、それ自身の合理的生命を持つものではありませんでした。民衆は、歴史以前の民衆と同じことで、歴史の一部であるよりは、自然の一部だったのです。近代の歴史が始まったのは、日増しに多くの民衆が社会的政治的な意識を持つようになり、過去と未来とを持つ歴史的実体としてその各自のグループを自覚するようになり、完全に歴史に登場して来た時です。社会的、政治的、歴史的意識が民族の大部分に広がり始めるなどというようなことは、僅かな先進諸国においてさえ、精々、最近200年間のことでした。


【『歴史とは何か』E・H・カー清水幾太郎〈しみず・いくたろう〉訳(岩波新書、1962年/新版、近藤和彦訳、2022年)】

 ついでなので、『神々の沈黙』からの別ルートを示しておこう。上記の中では岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉が小難しいが、『聖書vs.世界史』だけは必読のこと。3回ほど読めば概要が頭に入る。最初は経文のつもりで挑め。

 1961年にケンブリッジ大学で行われた6回の講演を編んだ内容。私が生まれる2年前である。イギリスには古い物を尊ぶ文化がある。家具や調度品でも100年単位の物がザラにある。さすがに湿度が高く、地震の多い日本だとそうはいかない。我が国で対抗し得るのは五重塔くらいか。ただし、創業が古い会社や店に関しては日本が世界一である。

 話し言葉が綴(つづ)られているので読みやすいのだが、その歴史哲学・歴史概念は恐るべき深さを有しており、歴史とは単なる過去の発掘などではなく、過去を知覚し現在を照らすものであることが力説されている。また、「歴史とは解釈である」「歴史とは思想史である」とも述べられている。

 上記テキストは本書のクライマックス部分である。私の意識は吹っ飛んだ。気がついた時はリングの上で大の字になっていた。いや本当の話だよ。

 すなわちデカルトが自我を発明(『方法序説』1637年)し、それ以前の民衆は「歴史の一部であるよりは、自然の一部だった」と喝破(かっぱ)している。

 歴史とは自覚的なものなのだ。

 自我と経済が結びついて近代の扉は開かれた。産業革命~資本主義、市民革命~国民国家という構図だ。

 そうするとデモクラシー(民主政)という概念は、歴史の主体者であることを民衆に吹き込む思想なのだろう。しかしながら我々は「現象」であることを免れないのだ。カーの見識は自由意志のテーマにも深く関わってくる。

 読書の昂奮極まれり、という一書である。