斧節

混ぜるな危険

アイ・アム(I Am)に関する覚え書き

坐法に関する覚え書き
マントラに関する覚え書き

 ・アイ・アム(I Am)に関する覚え書き

姿勢(=礼法)に関する覚え書き

「『私は在る』が私である」   出エジプト記3:14


【『未来を改造する【ザ・パワー】のしくみ 想定の『超』法則』ネヴィル・ゴダード:林陽〈はやし・よう〉訳(ヒカルランド、2011年)】

 英語だと「I Am that I Am」、または「I am who I am」か。神がモーゼに告げた科白(せりふ)である。「諸法非我」でも触れた通り、非二元(アドヴァイタ)の「アイ・アム」と諸法無我の懸隔をどう受け止めるべきか思いあぐねていた。本書でやっと出典が判明した。

 私の名前はI Am(私は在る)です。おそらくあなたは、“神”という呼び名をずっと使っていたかもしれません。しかし、私の名前が何であるかは、重要ではありません。大切なのは、私が誰であり、あなたが誰であるかということです。
 私はすべてです。私は存在するありとあらゆるものです。
 非物質世界とは、思考が集積したところです。あなたが生きている物質世界は、単に、それらの思考の一つひとつが投影されたものです。あなたが五感を通して感じている物質世界のものすべては、私の思考によって創造されました。
 あなたは無限に近い思考の一つの投影です。あなたが新しい思考を巡らすたびに、それは非物質世界で始まり、物質世界へと投影されます。あなたが自らの意識と呼ぶものは、非物質世界に存在し、あなたにとって本物のように思える物質世界へと投影されています。私はいつも、何十億という人たちの思考をすべて物質世界へと投影しています。私は、あなた方一人ひとりです。あなたの思考は私の思考です。そこに区別はありません。ですから、あなたは神なのです。


【『ただ一つの真実、ただ一つの法則:私は在る、私は創造する』エリン・ウェアリー:奥野節子〈おくの・せつこ〉訳(ナチュラルスピリット、2022年)】

 イタコ系悟り本は苦手なのだが参考書としては役に立つ。「あなたは無限に近い思考の一つの投影です」の一言には価千金の値打ちがある。思考は意思から生まれると考えている人が多いが実は違う。単なる脳の反応なのだ。それゆえ思考は自分でコントロールすることができない。波のように勝手に寄せては返すのである。そして考えるのは往々にして不幸な時である。楽しい時は何も考えていない。遊園地やディズニーランドで思索する人はいない。

 よくよく振り返ってみよう。思考は妄想である。思考は今という現実から離れて、過ぎ去った過去にしがみつき、いまだ来ない未来を予想する行為だ。心に深い傷を負うと、そのことから離れることができなくなる。繰り返し思い出すことで意業が強化される。

 ところが、「あなたの思考は私の思考です」と来て、ここでいう思考が意識を指していることがわかる。思考に気づいているのが意識であり、気づいていることに気づくのが悟りである。メタ気づき。

私は在る I Am
「私は在る=I Am」という気づきにおいて、非個人的意識が最初に現象化すること。これ以外には何ごとも存在せず、唯一の真実である。なぜなら、それは異論を唱えられないものだからである。それゆえ、個人的アイデンティティという感情にもとづいて、それに引き続き起こる思考によって考えられないかぎり、それは観念ではない。2つの思考や2つの予想の合間。「意識」「私-私」を参照のこと。


【『誰がかまうもんか?! ラメッシ・バルセカールのユニークな教え』ブレイン・バルドー編:高木悠鼓〈たかき・ゆうこ〉訳(ナチュラルスピリット、2010年/原書、1999年)】

 すなわち、「私は在る」とは「私は気づいている」と解釈して宜しい。断言してしまうぞ(笑)。「気づいている存在が在る」という意味だ。

 そして牽強付会を恐れず申し上げれば、「I Am」もまたOMを示唆している。I'mと発音してみれば直ぐ気づくことだ。

 科学的な根拠については後日記す。