斧節

混ぜるな危険

ハイゼンベルクの行列力学

『量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』マンジット・クマール
・『すごい物理学入門』カルロ・ロヴェッリ
『すごい物理学講義』カルロ・ロヴェッリ
・『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ
『世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論』カルロ・ロヴェッリ

 ・ハイゼンベルク行列力学

 1924年ハイゼンベルクはボーアやほかの人々と議論を交わしたのち、こう考えた――「いつの日か、賢明な推測によって、量子力学という完璧な数学的体系を構築する道をつくることができるはずだ」。力学とは、力の影響を受ける物体が時間とともにどのように変化するかを説明する物理学のことである。
 ハイゼンベルクのその洞察は予言めいていた。1925年の春、ひどいアレルギー性鼻炎を患うハイゼンベルクは、花粉が少ない岩だらけの島、北海のヘルゴラント島に避難する。そこで、長い散歩ゲーテの『西東詩集』を熟読し思いにふける合間に、現代の量子論の基本となる初期の数学を考え出すのだ。ハイゼンベルクはのちにこう回想している。「最後の計算結果を出す前、まもなく朝の3時という時分……私の計算が示すかぎりの量子力学に、数学的な一貫性と干渉性があることは、もはや疑いようがなかった。最初はひどく驚いた。原子レベルの現象の表層の向こうに、妙に美しい内部構造を見ていたという感覚に陥った。そして、自然が寛大にも私に見せてくれた、奥深い数学的な構造の特性を調べ上げなければならないという考えに、めまいさえ覚えた。興奮のあまり眠れず、夜が明けると、島の南端に向かった。海に突き出た岩を登りたいと思ったのだ。難なく岩に登り、太陽が昇るのを待った」。
 ハイゼンベルクは研究を論文にまとめ、まずヴォルフガング・パウリ(優れた若手研究者の人)に見せ、次いでマックス・ボルン(同様に優れた研究者で、ハイゼンベルクが博士号取得後の研究をしていたとき、ボルンは40代で父親のような存在だった)にも見せた。ボルンはハイゼンベルクの論文の論旨をすぐに理解した。「その日一日考え続け、夜ほとんど眠ることができなかった……朝になって突然、光を見出した」と回想する。
 そのときボルンが気づいたのは、ハイゼンベルクが方程式で操っていた記号が行列という数学の記号に相当するもので、行列代数と呼ばれる数学の一分野が存在するということだった。たとえば、ハイゼンベルクは、自分の記号に妙なところがあるのを見出していた。行列Aに行列Bをかけたものと、行列Bに行列Aをかけたものとは同じではないのだ。掛け算の順序は重要だった。これは、実数にはなく、行列に見られる性質だ。行列とは要素の配列である。配列は、一つの行だったり、一つの列だったり、複数の行と列の組み合わせだったりする。ハイゼンベルクは行列代数を知らないまま、量子の世界を表し、量子についての疑問を明らかにする方法としての行列を直感的に理解したのだ。


【『二重スリット実験 量子世界の実在に、どこまで迫れるか』アニル・アナンサスワーミー:藤田貢崇〈ふじた・みつたか〉訳(白揚社、2021年)】

発見は悟りと似ている」関連テキスト。今日読んだ部分。知識はつながり、根や枝のように広がってゆく。

 1924年大正13年である。1900年(明治33年)にマックス・プランクがエネルギー量子化仮説を発表し、1905年(明治38年)にはアインシュタインが光量子仮説を発表。ここに量子力学の扉が開いた。当時、アインシュタインは26歳。1905年は「奇蹟の年」と謳(うた)われた。1900年といえば戸田城聖の生年でもある。

 中ほどまで読んだが難解である。二重スリット実験は量子本であれば必ず数ページにわたって書かれる重要な代物だ。今まで何度も読んできた。しかし、我々の経験はニュートン力学の範疇に収まっており、「波動と粒子の二重性」を理解することは困難を極める。まずは二重スリット実験をご覧いただこう。

 1個の電子を観測した場合は粒として作用し、観測しない時は波として振る舞うというのだ。電子よ、お前さんには意志があるのか?

 二重スリット実験の嚆矢(こうし)はヤングの実験(1805年)であるが、電子銃や光子銃で一粒ずつ発射できるようになった。その後、二重スリット実験は量子消去実験遅延選択実験に発展する。

 両テキストを比べてみよう。やはり、カルロ・ロヴェッリの流麗な筆致に軍配が上がるが、行列代数には触れていない。立つ位置によって世界は異なる。人の数だけ世界があるというのは「見えている世界」の違いを表しているのだ。あなたと私が喫茶店でテーブルを挟んで向かい合ったとしよう。微妙ではあるがあなたに見えるものが私に見えず、私から見えるものがあなたには見えない。ウェイトレスの表情や姿も異なる角度から見ている。一流の画家を10人集めて同じ場所で写生しても、全く異なる絵が表現されるに違いない。

 情報が多いほど正確な実像が浮かび上がる。先入観が訂正され、勘違いも直される。

 私の中では不思議なことだが、量子の非実在性・非局所性・二重性を知れば知るほど、なぜか決定論(運命論・予定説)に傾いてしまう。

波動関数の収縮
『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。 心理学的決定論』妹尾武治