斧節

混ぜるな危険

意識の前に脳は動いている

『歴史の起源と目標』カール・ヤスパース
『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二
『意識する心 脳と精神の根本理論を求めて』デイヴィッド・J・チャーマーズ
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・意識のハード・プロブレム
 ・意識の前に脳は動いている

『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル

 意識はその持ち主に、世界像と、その世界における能動的主体としての自己像を提示する。しかし、いずれの像も徹底的に編集されている。感覚像は大幅に編集されているため、意識が生じる約0.5秒前から、体のほかの部分がその感覚の影響を受けていることを、意識は知らない。意識は、閾下知覚もそれに対する反応も、すべて隠す。同様に、自らの行為について抱くイメージも歪められている。意識は、行為を始めているのが自分であるかのような顔をするが、実際は違う。現実には、意識が生じる前にすでに物事は始まっている。
 意識は、時間という名の本の大胆な改竄(かいざん)を要求するイカサマ師だ。しかし、当然ながら、それでこそ意識の存在意義がある。大量の情報が処分され、ほんとうに重要なものだけが示されている。正常な意識にとっては、意識が生じる0.5秒前に〈準備電位〉が現れようが現れまいが、まったく関係ない。肝心なのは、何を決意したかや、何を皮膚に感じたか、だ。患者の頭蓋骨を開けたり、学生に指を曲げさせたりしたらどうなるかなど、どうでもいい。重要なのは、不要な情報をすべて処分したときに意識が生じるということだ。


【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年/原書、1991年)】

知覚情報は0.5秒前の世界」関連テキスト。人間が意識する0.5秒前に脳は動いていることがベンジャミン・リベットの実験で判明した。

意識のハード・プロブレム」は様相が変わった。準備電位という脳の反応が意識に先立って動いているのだ。意識を操る者は誰か? ひょっとすると意識以前に意識は定められているのではないか? 自由意志の前に現れた電気の正体や如何に?

「科学的な見地としては、自由意思(ママ)はおそらく“ない”だろうといわれています」(『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?池谷裕二)。

 宇宙が「ゆらぎ」から生まれたように、自我もまた「ゆらぎ」から生まれるのだろう。自我こそは「利用者の錯覚」(ユーザーイリュージョン)なのだ。

 世界が感覚で構成されている以上、我々の経験はシミュレーションとならざるを得ない(唯識)。つまり脳が世界を規定するのだ。そして意識は「私」をでっち上げ、存在の重力を生み出す。

 華厳経(けごんきょう)に「心は工(たくみ)なる画師(えし)の如く種種の五陰(五蘊)を画(えが)く。一切世間の中に法として造らざること無し」とある。仏教は脳科学だったのだ。

「世界も私も幻想だ」というのは簡単だ。それよりも一番大切なことは、生(せい)の川が刻々と流れている事実を知ることだ。この流動性ブッダ諸行無常と鋭く見抜き、「私」の実体は諸法無我であると喝破した。

 世界と私は何と不思議に満ちていることか。