・創価学会が起こした言論出版妨害事件
・言論出版妨害事件を起こした創価学会・公明党は「民主主義の敵である」「自由な言論の敵である」
・『池田大作先生への手紙 私の自己批判をこめて』原島嵩 1980年
・『創価学会・公明党 スキャンダル・ウォッチング これでもあなたは信じますか』内藤国夫 1989年
・『池田大作 幻想の野望 小説『人間革命』批判』七里和乗 1994年
・『落ちた庶民の神 池田大作ドキュメント』溝口敦 1995年
・『徴税権力 国税庁の研究』落合博実 2006年
言論・出版の自由のないところ民主主義はありえない。チェコの現状を憤るだけの人が、なに故に創価学会・公明党の行なうこの言論に対する卑怯きわまる圧力に対し、厳しい戦いを行なわないのか。私は、創価学会・公明党と誼しみを通ずることによってしだいに筆を曲げていった多くの言論人や評論家の姿を知っている。まことにこれを遺憾と思うものの一人である。
また商業主義に堕落した日本の一部マスコミは、この創価学会・公明党の圧力とファナティシズム(狂信主義)を恐れ、これをタブーとし、クサイものにはフタをしてできるだけ批判を避け、ふれないようとしてきた事実もまた紛れもないところといわなければならない。こういう傾向こそ、まさに創価学会・公明党をつけあがらせ、目的のためには手段を選ばないマキアベリスティックな行動を当然視させ、不当な圧力を自由なる言論にかける不遜な態度にださしめる背景であるといわなければならないのである。その意味において、いまや創価学会・公明党は「民主主義の敵である」「自由な言論の敵である」と私は断ぜざるをえない。
・言論出版妨害事件 - Wikipedia
・創価学会・公明党の言論出版妨害事件とは?
・よくわかる創価学会
・言論出版妨害事件のこと。 - 創価ダメだしブログ
これらの記事を読んだ上で、以下の記事を参照せよ。
言論出版妨害事件に関する藤原弘達の指摘は完全に正しいものだ。しかも当時の首脳部は池田が取り乱して「私を守れ!」と叫んだ様子も知っていたはずだ。教勢拡大に酔い痴れ、図に乗った挙げ句がこのざまだ。
しかも池田以下、誰一人が辞任することもなく、記者会見を開いただけでチャラにしてしまったのだ。これ自体が創価学会の犯罪者体質を示していると考えてよい。世間や社会のことなんかどうでもいいと思っているからこそ、平然と嘘をつき、欺くことができるのだろう。
個人的には、この劣勢を挽回するべく打ったトリッキーな策謀が「創共協定」(1974年)だったと考えている。
創価学会員で言論出版妨害事件について反省している人を一人も見たことがない。むしろ、「法難」と位置づけて、社会に対する憎悪を燃やしている者が殆どだ。池田も常々「誤解だ」と言ってきた。完全に犯罪者の詭弁である。
このタイミングで会長を辞任していれば、池田も多少は男を上げることができたと思われる。ところが次に行ったことは、創価学会員から集めた寄付金を日蓮正宗総本山ではなく、創価学会主導で運用していくという経済戦争であった。池田は完全な敗北を喫し、1979年、会長辞任に追いやられる。
信仰は事実を見えなくさせる。その怖さに気づく者はいない。