斧節

混ぜるな危険

御本尊模刻の真相

『創価学会を斬る この日本をどうする2』藤原弘達 1969年

 ・御本尊模刻の真相

『創価学会・公明党 スキャンダル・ウォッチング これでもあなたは信じますか』内藤国夫 1989年
『池田大作 幻想の野望 小説『人間革命』批判』七里和乗 1994年
『落ちた庶民の神 池田大作ドキュメント』溝口敦 1995年
『徴税権力 国税庁の研究』落合博実 2006年
『絶望の淵より甦る 創価学会を脱会した歴史の生き証人 体験を通して真の信仰へ』原島嵩 2007年

 しかし、こと御本尊の問題については、御法主上人のご法体の上からなされるものと拝します。決して許可を得るとか得ないとかいう問題ではないはずです。かつて先生は「❍❍君がおもしろいことを行っていた。御本尊は、総本山が特許庁だというんだな」と、面白そうに車中で私に話されたことがあります。「特許庁云々」は他の人の発言かもしれませんが、少なくとも先生はそれをお認めになっていたことであり、御本尊模刻問題に対する発言といい、これが御本尊、宗門に対する先生の心そのものだったのではないでしょうか。
 しかも、それを先生から命を受け実質的に推進した陰の方に、私が直接聞いたことは「本尊模刻は、本当は総本山に事後報告という形でなされた」ということであります。この事実は、日蓮正宗の信徒にとっては根本問題だけに、決して表面を取りつくろうことなく、責任をもって真実を会員に知らせるべきではなかろうかと進言申し上げる次第です。
 また、車中にて私がこの問題について質問申し上げましたところ、先生は「それは正しいんだ。我々自身が妙法の当体(そのままの体)なんだからこれでいいのだ」とおっしゃいました。
 いまにして思えば、このとき、私は先生を諫めることのできる立場にありながら黙っておりました。いかに先生の叱責がこわくとも勇気をもって、面(おもて)をおかしてお諌め申し上げるべきであったことを思うとそれをできなかった自分自身が残念で、どんなに悔いても余りあります。
 自分が妙法の当体だから、御本尊を写真にとり、業者に模刻させてよいなら、皆がそれをしたらどういうことになりましょうか。本尊雑乱きわまり、日蓮正宗の法義の根本が滅失してしまいます。実は身延日蓮宗がこれをやったのです。(中略)戸田先生(二代会長)は、御本尊を決して写真にとってはならぬとまで厳命されていたのでした。その証拠に戸田先生のお宅にご安置の御本尊は模刻されておりません。その間の詳しい事情はわかりませんが、恐らく戸田先生の遺言を守ったご遺族の方々の信心によったのではなかろうかと思います。


【『池田大作先生への手紙 私の自己批判をこめて』原島嵩〈はらしま・たかし〉(晩聲社、1980年)】

 阿部vs.池田紛争が始まった直後に本尊模刻については聖教新聞の紙上座談会で取り上げられた。赤澤朝陽の社長まで登場したと記憶している。ま、今となっては総本山とは無縁な本尊を複写しているので、どうでもいいと感じる創価学会員も多いことだろう。だが、それは違う。

 問題は当時の宗教的次元での罪をいとも簡単に犯してしまった事実にある。こうしたスタンスが、やがては関西女子部の「お守り君」事件につながってゆくのだ。

 原島の初著は極めて穏当な筆致で、弟子の立場を払拭していないがゆえに、かえって斬れ味が鈍い。かつての御書講義を思えば、文章も拙いと言わざるを得ない。それでも勇気ある行動は称賛に値する。複数の最高幹部が「私も続く」と言いながら、結局全員が沈黙を保ったのだ。

 本部職員であれば経済的な理由も大きかったことだろう。面従腹背しながら学会に席を置いた連中の人生が輝くことは決してなかったに違いない。

 三代会長が永遠の存在であるならば、二代会長に違背した事実をどう考えるのか? あるいは見て見ぬ振りをして何も考えないのか?

 原島はその後、数冊の著書をものしたが批判が深まることはなかったように思われる。