斧節

混ぜるな危険

原島嵩が証言する言論出版妨害事件 その二

『池田大作先生への手紙 私の自己批判をこめて』原島嵩 1980年
『蘇生への選択 敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか』福島源次郎 1990年
『誰も書かなかった池田大作 創価学会の真実』原島嵩 2002年
『徴税権力 国税庁の研究』落合博実 2006年

 ・原島嵩が証言する言論出版妨害事件 その一
 ・原島嵩が証言する言論出版妨害事件 その二
 ・原島嵩が証言する言論出版妨害事件 その三

『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』矢野絢也 2009年
・『「黒い手帖」裁判全記録矢野絢也 2009年
・『乱脈経理 創価学会VS.国税庁の暗闘ドキュメント矢野絢也 2011年
・『池田大作と原島家 池田大作を会長にした原島宏治とその家族原島昭 2014年

 池田の国会喚問が取り沙汰され、池田のあせりは頂点に達した感がありました。池田の関心は、このまま5月3日の本部総会を迎えられるかどうかにかかってきました。「創価学会の会長をやめたい」といって、会長辞任をほのめかす発言も多くなりました。当時、学会に好意的だった評論家の高瀬広居氏のインタビューに応じた池田は、「本当に自殺したいくらいの心境だ。まるで処女が強姦されたようなものだ」と、歴史に残る「みっともない発言」をしたのも、加害者であるにもかかわらず被害者を装うという、池田独特の被害者意識の性格を物語っています。
 私は、ずっと側にいて不思議に思ったことが一つあります。それは池田がまったくといっていいほど、日蓮正宗の僧俗の基本中の基本たる勤行・唱題をしていないという事実でした。
 時として、側小姓のようについていた私たちに「代わりに勤行をしておけ」と命ずることもありました。そんな「身代わり勤行」などということは聞いたこともありません。しかも、池田にとって難局の時です。それこそ必死に自ら勤行・唱題をして「変毒為薬」することこそ、仏法者としての当然の振る舞いであるにもかかわらず、それさえしなかったのは、何としても不思議でしょうがありませんでした。勤行・唱題すらろくにしていない人物を仏法の指導者として仰ぐその会員が、今では哀れで仕方ありません。
 あの時、池田は国会喚問にひどくおびえていました。戸田二代会長は、昭和30年、立正佼成会庭野日敬会長(今は故人)が国会で参考人喚問された時、にっこりほほえんで「国会喚問があれば、その時こそ仏法の正義を世に示す絶好のチャンスになる」と強い確信を披露されたと聞いておりますが、これとは反対に、池田は国会喚問をただおびえ狂うばかりでした。


【『絶望の淵より甦る 創価学会を脱会した歴史の生き証人 体験を通して真の信仰へ』原島嵩〈はらしま・たかし〉(日新報道、2007年)】

 創価学会内部では創価学会から仕掛けた事件を「法難」と称して被害者を装っている。

・言論出版妨害事件 俗衆増上慢
・細井 vs. 池田紛争 道門増上慢
・阿部 vs. 池田紛争および四月会との攻防 僭聖増上慢

 ところが学会から離れた私からすれば、創価学会の舞台はどんどん縮小傾向にあると考える。

・言論出版妨害事件 世間を学会に従わせようと目論んで失敗。
・細井 vs. 池田紛争 日蓮正宗宗門を学会の支配下に置こうとして頓挫。
・阿部 vs. 池田紛争および四月会との攻防 学会が供養(寄付金)独占することに成功。政権与党入りを果たす。

 これ以降は自公政権時代となり、創価学会の対外折衝は自民党一本となった。広宣流布という日蓮の遺命を思えば、逆コースに進んでいることが明らかだろう。

 何にも増して見逃せないことは、汚れ仕事をさせられた人々のほぼ全員が後に池田から離反している事実であろう。後述するが、創価大学の「建学の精神」も原島嵩が立案したものだ。