・『創価学会を斬る この日本をどうする2』藤原弘達 1969年
・『池田大作先生への手紙 私の自己批判をこめて』原島嵩 1980年
・比木三九男
・八王子市を創価市にしようという目論見
・池田への付け届け運動を奨励した長谷川重夫
・上田夫妻の悩み
・『私の履歴書』を代作した松岡資
・二人の会長候補
・野崎兄弟
・『池田大作 幻想の野望 小説『人間革命』批判』七里和乗 1994年
(上田)雅一の悩みの一つに、自分の妻が池田の体液の付いている下着を洗濯させられることがあった。雅一は、一時は真剣に離婚を考え、友人たちに池田への恨みをぶちまけた。
京子はその後、夫に悪いと思ったのか自分から折れて、やっと正常な夫婦関係になった。そうなった後でも、池田は京子に自分の身辺の世話をさせる。今度は、京子の方が池田に嫌気がさしてきた。他の女性の口紅の付いたパンツを洗濯させられるのは、さすがに我慢し切れなかった。
【『創価学会・公明党 スキャンダル・ウォッチング これでもあなたは信じますか』内藤国夫〈ないとう・くにお〉(日新報道、1989年)】
上田雅一はかつて男子部長を務めた人物である。前任が福島源次郎で、後任が野崎勲。初代の高等部長であったような記憶もある。声のでかい人だった。夫人は清楚な美人で聖教紙上でよく見かけたものである。
本格的に調べたわけではないのだが内藤国夫が創価学会から訴えられた形跡はない。この件(くだり)については多分、原島嵩から聞いた情報と推察する。根拠については原島本を紹介した際に述べる。