斧節

混ぜるな危険

御書全集の刊行も金儲けが目的だった

『創価学会を斬る この日本をどうする2』藤原弘達 1969年
『池田大作先生への手紙 私の自己批判をこめて』原島嵩 1980年
『池田大作 幻想の野望 小説『人間革命』批判』七里和乗 1994年

 ・政・財・学と創価学会の癒着
 ・戸田城聖の遺産は4億2000万円
 ・会長辞任に追い込まれた背景
 ・牧口と戸田が戦争に反対した事実はない
 ・御書全集の刊行も金儲けが目的だった

『徴税権力 国税庁の研究』落合博実 2006年

 7月22日(※昭和26年?)、本尊奉戴の臨時総会が市ヶ谷の家政学院の講堂で開かれ、その席で財務部の強化と、日蓮の遺文集の刊行が発表された。
 創価学会は会員から会費をとらず(ことあるごとに臨時徴収する)、戸田や会員による寄金で運営されていたが、それは制度的に明確でなく、会経費は不足しがちであった。そのため、全国折伏をめざす今、まず資金制度を確立する必要があった。
日蓮大聖人御書全集』(『御書』と略される)の刊行も、教学面の強化と同時に金儲けをもくろむ企画だった。
(中略)当初、戸田は600万円と見積られた出版費の援助を大石寺に請うたが、拒絶されて怒り、聖教新聞に本山をたたかせたりした。が、結局、出版費は会員からの1冊1200円の前金でまかなわれた。
『御書』はそのころ戸田の眼についた唯一の稼ぎの種であり、また前金以外に金繰りもつかず、戸田はあせっていた。「御書は作ると決めたら作っちまうんだ、借金しても1200円用意しろ」と当時の『聖教新聞』(26年8月1日)は記している。
 同書は初版6000部が発行され、2年後に4万部が再版された。そのとき戸田は、定価2000円の同書を1200円で予約買取りしておけば、あとで本部が2000円で買戻す。多く買えばそれだけ儲かると、会員に大量購入をすすめたという(日隈『戸田城聖』)。


【『池田大作「権力者」の構造』溝口敦〈みぞぐち・あつし〉(講談社+α文庫、2005年/『落ちた庶民の神 池田大作ドキュメント三一書房、1995年に加筆し文庫化)】

 創価学会員の間では意外と知られていない事実だが、複数の学会批判本で紹介されている。真偽未決の遺文を多数盛り込んだのも、一定の分厚さにする必要があったためだろう。「信行に資するものは之を取る」という言い訳が通用すると思っているところに創価学会の脇の甘さがある。このようなプラグマティズムに毒されたデタラメさが創価学会の特徴であり、町人的な信仰のあり方に堕している。

 創価学会は「借金を奨励し」、「御書全集でマネーゲームを行うこと」を会員に勧めた。この瞬間から教団の目的が利殖(りしょく)に向かったことは否(いな)めまい。

 簡単な事実を指摘しておこう。戸田城聖岸信介首相と親交があったが国家諫行することはなかった。池田もまた代々の首相と親交があった事実をエッセイなどで吹聴しているが、これまた国家諫行した形跡はない。日蓮や牧口の精神に違背しているのである。創価学会の政治進出は戸田の時代から行われてきたが、公明党の結党目的は一定の政治的影響力をもつことに過ぎなかったのではあるまいか。

 長らく政権与党として自民党に寄生してきた公明党だが、最近になって国民が自公政権に辟易(へきえき)している世論調査が目立ってきた。当初はブレーキ役として評価する声もあったが、昨今は足を引っ張るだけの親中勢力となってしまった。

 尚、びっくりしたのだが日隈威徳〈ひぐま・たけのり〉の『戸田城聖 創価学会』(1971年刊)が復刻されていた。